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夢を諦め現実に迎合した男を処刑する「午後の曳航」 [本]

夢を諦め現実を選らんだ男は少年の絶望に殺される

午後の曳航 (新潮文庫) 先日の山中湖ドライブ旅行の旅のお供は三島由紀夫の「午後の曳航」でした。国内外で傑作として名高い作品で、イギリスでは映画にもなった有名作品です。13歳の父を早くに亡くした少年・登と船員として世界の海を渡る青年・竜二の二人の物語が三島由紀夫の完璧な様式美の中で港町横浜を舞台に進んで行く短めの長編です。そして三島由紀夫ファンの私の中ではトップ10に入る大好きな作品の一つでもあります。では早速あらすじをどうぞ。

父を早くに亡くし父の残した洋品店を営む母と二人暮らしの登。父という存在の欠如から、偶然出会った船乗りの竜二の逞しい肉体に理想的な男性像を見る。竜二はかつてロマンを求めて海に出たものの自分を待つ特別な”何か”は決して起こることはないのではと感じていた頃に登の母と出会い、二人は愛し合うようになる。半年の航海の後、竜二は海を捨て登の母と結婚し洋品店を営むことを決める。しかし登にとって、かつて海の英雄だった竜二が海を捨て、陸の世界に迎合していく姿を受け入れることは到底出来ず、竜二を再び英雄に戻す為、殺害することを決める・・・。

この作品は二部構成になっています。一部の「夏」は、登の竜二に対する憧憬や、竜二と登の母との恋の模様が描かれる非常にロマンチックな物語です。一方第二部の「冬」は竜二と登の母の結婚が決まり、登の中の竜二は自らの信念を捨てて現実に迎合した堕落した英雄となり、憎しみと怒りによって破滅に向けて急降下して行きます。煌びやかで美しい夏の恋物語と絶望と殺意が充満する冬の物語。この二つが三島お得意の完全なる対比(様式美)となっています。

様式美はこれだけにとどまらず、作品中のあらゆるところでみることが出来ます。それは物語が完全に作者によってコントロールされ、設計図が細部に渡るまで細かく描かれていたこらこそ出来る技です。何かが乗り移って書いているなんてことは絶対にない完璧な構成が三島作品の醍醐味の一つですが、この「午後の曳航」はそれを一番強く感じさせる作品です。対になる存在、あるいは三角形の関係性、過去と未来、父親と息子、社会的に容認された悪と全てを超越する絶対的な正義。色々な関係性が小説の中で成り立っています。

この物語の重要な登場人物の一人に登の同級生「首領」がいます。彼は登達のグループのリーダー格の少年で、堕落した大人達を罰するのが選ばれた自分達(子供達)の義務であり、落伍者は抹殺されるべきであり、竜二を救済するためには処刑するしかないと提案する独自の論理を持つ哲学者ですが、この首領、私には作者の三島由紀夫自身に思えてなりませんでした。言葉を変えると、三島自身が小説の中で三島の考える日本男子のあるべき姿である「志や大義の為なら命を惜しまない生き方(船乗りの竜二)」をしていた男が、一人の女に出会いその影響で「志を捨てて新しい環境に馴染む為に自分の信念まで捨てる」こと(「冬」の竜二)を決して許さず、そんな男を英雄に憧れ多感な精神を持つ少年の悪意無き純粋さによって死刑に処したかったのではないかと思います。ぞっとする残酷な考えですが、三島は求道者でもあったのでかつての日本男子の魂を忘れ堕落していく時代の男たちに対するメッセージだったのかもしれません。

物語の最後は毒入りの紅茶が入ったティーカップを登から渡された竜二は、海を夢想しながら飲みほします。この時の竜二は自分が捨てた海を鮮やかに思い返しながら、目の前にいる登達すら見えず、ただただ心に広がる海の光景に思いを馳せます・・・。登達の手によって死刑に処せられた竜二は、海の英雄として救済されたのか、それとも子供達の悪意無き正義の行為の単なる犠牲者なのか、貴方はどちらだと思いますか?

午後の曳航 (新潮文庫)

午後の曳航 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1968/07/15
  • メディア: 文庫

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